エルメスのブルードマルタという鮮やかなブルーについてご紹介致します!
ブルードマルタとはどのような色?
ブルードマルタはフランス語でBleu de Malteと書きます!マルタの青というネーミングがついている深いブルー。
※ブルードマルタはハンドル部分の濃い青色の方です。
マルタ共和国とは?
マルタ共和国はイタリア、シチリア島の南に位置し、地中海のほぼ中央に浮かぶ小さな国でEU加盟国です。
総面積は約315平方km、淡路島の約半分ですが、昔から数多くの文明が交差してきた興味深い島です。ローマ時代に地中海貿易の拠点として発展し、イスラム教徒と戦ったマルタ騎士団が有名です。
マルタでは旧市街散策や遺跡探索もお楽しみ頂ける上に、世界有数のダイビングスポットとしても有名な輝きの美しい透明な海を満喫することができます!
マルタの位置
日本からは乗り継ぎで向かうことになりますが、乗り継ぎ時間がうまくいくと16時間程度で到着することができます。経由地はドイツのフランクフルト、スイスのチューリッヒあたりが便利です。
ヨーロッパの大都市からは直行便が飛んでいますので夏のバカンスの時期にはとても人気の方面となります。マルタ国際空港から首都のバレッタまでタクシーで20分未満という距離感も便利です♪マルタ内のマルタ島、ゴゾ島、コミノ島などが観光として巡るのに有名です。
マルタの見どころ
マルタ騎士団に想いを馳せながら旧市街バレッタや旧首都を散策
1565年、オスマン帝国からの攻撃に打ち勝ったマルタ騎士団により建設された首都バレッタ。碁盤の目のように建物が立ち並んでおり、街中散策がとても楽しいです。ずっと奥の道まで見晴らせるのが気持ち良いです。
バレッタは世界遺産にもなっており、騎士団の修道院だった聖ヨハネ大聖堂や、騎士団長の宮殿、病院、要塞など、様々なところに歴史が刻まれています。中世の騎士団達に想いを馳せながら観光してみるのも素敵ですね。
太陽が燦々と輝いている昼間はマルタストーンで出来ている真っ白の建物が光を反射させて街中が眩しくキラキラとしています。反対にかつて首都だったイムディーナ&ラバトと呼ばれる地区は今ではとても静かな街となっています。
レストランやバーが並ぶ美しい海辺の街スリーマ&セントジュリアン
入江に面した美しい道を散歩するのもロマンチック。美味しいマルタ料理のレストランホテルが並びます!
エメラルドブルーの海での海水用、マリンスポーツはバカンスにぴったり!
世界有数のダイビングスポットとしても有名な輝きの美しい透明な海を満喫することができます!ゆっくり海辺で過ごすもよし、マリンスポーツを楽しむのも良しです。
マルタではマルタ語、イタリア語に加えて1814年~1964年の英国統治下の元、英語が公用語となっているので、イギリス人やヨーロッパからの観光客がバカンスに訪れたり、語学留学に訪れていて、街はとても賑やかで楽しい雰囲気。
ロンドンから飛行機で約3時間、きっと日本人がハワイに旅行に行く感覚なのでしょう♪
コミノ島
マルタ一の海の透明度を持つコミノ島!船が浮いているように見える美しいエレラルドブルーの海を持つランペドューザ島はマルタよりももっと西にありますが、マルタでも風さえ吹いていなけば、船が浮いているように見えることもあるそうですよ!
青の洞窟のようなブルーをマルタでも楽しめます!
カプリ島の青の洞窟のように、青の洞門(ブルー・グロット)と呼ばれてる美しいブルーの世界を楽しめる箇所もいくつかあります。カプリ島はすっぽりと洞窟の中に入り込みますが、こちらは小型船で窪みや洞門に入っていくと見ることができます。
観光名所だったアズール・ウィンドウは台風により陥落してしまいました。
マルタ島の上にあるゴゾ島のメイン観光地の一つであったアーチ状の岩石アズール・ウィンドウが2017年3月8日、強風と高波によって崩壊していしまいました。美しい自然の風景に沢山の観光客が訪れるスポットだっただけに、マルタの人々にとってはとても悲しいことでしょう。。
ピラミッドよりも古い!?世界遺産にもなっている巨石神殿群
中世マルタ騎士団と美しいビーチだけではありません!マルタには先史時代の巨石神殿、ストーンサークルが約30基以上、あちこちに点在しているのです。しかし文献や伝承で何を示すものなのかなど伝わって来ていないため、詳細不明、謎に包まれているのです。
タハージュラ神殿、スコルバ神殿と呼ばれるものはピラミッドよりも古い遺跡なのではないかと言われています。紀元前3600年頃に作られたと言われている神殿や6mもの巨石も使用されたものなどあります。
ハジャーイム神殿(写真下)は紀元前2800年頃のものとされている神殿で保存状態が良いことで知られています。神秘的ですね!
マルタの簡単にまとめた歴史
マルタの歴史はシチリア島の農民が渡来した紀元前5000年頃にまでさかのぼるというのですから驚きます。B.C.400年頃には既に地中海貿易でマルタは繁栄していたそうですが、様々な地域から侵略、支配されるという文明と歴史が交じる島となりました。
5世紀頃までローマ帝国領だったあと、870年にアラブ人の侵攻を受けイスラム帝国の支配下になります。1127年にノルマン人が占拠、1479年にスペインのアラゴン王国の支配下に置かれ、1530年にマルタ諸島は神聖ローマ皇帝カール5世より聖ヨハネ騎士団に譲渡され、ここから約260年にわたる聖ヨハネ騎士団(のちのマルタ騎士団)の支配が始まりました。
ヨハネ騎士団とは?
ヨハネ騎士団はホスピタル(病院)騎士団としてエルサレムに設立されましたが、十字軍戦役の間にキリスト教国の王族や領主の盟友となり、さまざまな特権を与えられて、キリスト教世界における最も重要な宗教騎士団の一つになったのです。 写真:聖ヨハネ騎士団の十字架
日本マルタ友好協会 より引用
1565年にマルタ騎士団は、ジャン・パリゾン・ド・ラ・ヴァレット騎士団長のもと、マルタ包囲戦と呼ばれるオスマン帝国からの攻撃の撃退に成功します。首都バレッタはその後彼により建設され、功績を讃えバレッタという名前を冠しています。
その後18世紀末にナポレオンにより占拠されマルタ騎士団の支配が終わります。1800年にネルソン提督率いるイギリスがマルタを占領、1814年のパリ条約により英国の支配下になりました。
第二次世界大戦中はイギリス海軍の重要な拠点となりましたが、戦後独立闘争により1964年英連邦の中で独立しマルタ国(State of Malta )としてイギリスから独立、1974年12月13日にイギリス連邦内のマルタ共和国となりました。
少しマルタ島についてまとめてみました!素敵なブルードマルタのバッグを眺めながら、マルタ島について想いを馳せてみてはいかがでしょうか?